2009.01.0815:19
感染性心内膜炎
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2007年5月2日、僕は体の不調を訴え、布団に横になっていた。シャワーを浴び、石鹸を取ろうとしたが、取れない。おかしいと思い、しばらくして、やっとの思いで風呂場を出た僕は、ほうほうの体で玄関に行き、鍵を開けた。
知り合いが訪問してくることになっていて、玄関の鍵を今開けないと、体が動かなくなってしまうかもしれないと思ったのだ。しばらくしてやって来た知り合いは、救急車を呼んでくれた。病院に着くと、僕は間もなく意識を失なった。
僕の体は、感染性心内膜炎を起こし、黄色ブドウ球菌という菌が血液中に入って心臓に回り、心臓の弁が破壊されたのだ。同時に、心不全、心筋梗塞、敗血症、脳梗塞、急性腎不全を合併した。僕はアトピーがあり、激しい痒みで毎日引っ掻いていたことが、黄色ブドウ球菌が入った原因だ。
宮崎にいる両親は、医師から電話で「最後になってしまうかもしれない」と言われたそうだ。両親はすぐに上京したが、不思議なことに、ゴールデンウィークにも関わらず、飛行機がキャンセルで2つだけ空いていたとのことだ。
その翌日、緊急手術が行われた。黄色ブドウ球菌で破壊された心臓の弁を機械弁に取り換える手術と、冠動脈バイパス手術が執り行われ、8時間にも及んだ。手術は終わっても、目は見えない、耳も聞こえない、右半身麻痺、助かる可能性は50%、いつ急変するか分からないと言われていた。
僕は夢の中をさまよい、何度も恐ろしい夢を見て苦しくて堪らず、死にたいと思った。否、夢の中なのか、現実なのかわからなかった。夢の中で、手術をしたほかの患者さんが助かる中、僕だけ何度手術してもだめだった。そのうち意識が薄れていき、もうすぐ死ねるかもしれない、楽になれるかもしれないと思った。間もなく静けさが訪れた。にも関わらず、ギリギリのところで死ぬことはできなかった。
手術が終わって20日を過ぎた頃だったか、集中治療室から出る直前に意識がはっきりとしてきた。看護師さんから優しい声で、「どうしてこうなったか分かる? 先生から聞いてない?」と言われ、答えようとした。ところが、「聞いていません」と言おうとしたのだが、声が出なかった。いや、声は出たのだが、言葉にならないのだ。あとから母に聞いた話では、動物のような声だったという。脳梗塞による高次脳機能障害により、失語症になったのだ。自分の名前も思い出せなかった。
救急車で運ばれて来たことはわかるが、どんな病気か、何故言葉がしゃべれないようになったのかわからなかった。先生や看護師さんに聞こうと思ってもしゃべれないし、麻痺のため、手を動かそうと思っても動かせないし、聞く手段がなかった。
どういう病気にかかったかを聞いたのは、不安定な状態を切り抜けて安定状態に入った6月中旬、再び両親が宮崎から見舞いに来た時だった。皮膚を掻いたことによって黄色ブドウ球菌が血液中に入り、感染性心内膜炎にかかったことを知った。自分は1級身体障害者になったということも知った。
手術費用は3割負担で220万円近くだった。ところが、身体障害者による重度心身障害者医療費助成制度が適用され、手術費用も含め、医療費は無料となったのだ。発病は5月2日だったが、もし4月中に発病したら、手術費用を負担しなければならなかった。「神様に守られている」。 直感的にそう思った。
ところが、僕が入院していた昭和大学藤が丘病院からリハビリテーション病院に移って2週間後に、突然高熱が出て、院内感染=MRSAにかかってしまったのだ。去年も大学病院でMRSAにかかり、多くの方が抗生物質が効かず、亡くなったとある医師が言っていた。しかし、無事、抗生物質が効いて1か月半ほどで退院できた。
しかし、8月末に退院して11月末を迎える頃、40度近くの高熱が出て、黄色ブドウ球菌による感染性心内膜炎が再発したのだ。僕は救急車を自分で呼び、再入院した。再発は2度にわたった。アトピー性皮膚炎は、退院してからも続き、治っていなかった。退院してからも、夜も眠れず引っ掻いていたため、黄色ブドウ球菌が血液中にまた入ったのだ。
再入院後は、現時点で最強の抗生物質=ザイボックスが投与された。以前、投与されていた抗生物質は効かなくなっていたからだ。医師からは、「ザイボックスが効かなくなったらアウトだ」と告げられた。アウトだという意味は、何も打つ手がなく、死ぬだけだということだ。
今度、無事に退院できても、アトピーを引っ掻く限り、必ず再発する。そして、いつかはザイボックスが効かなくなる。僕は自分の近い将来を恐れた。
掻くのを我慢すればいいじゃないか。そう思う人もいるだろう。しかし、アトピーの痒さは、なった人にしかわからないだろう。痒いのをギリギリまで我慢しても、何らかの拍子でストレスが溜まったら思わず掻きむしってしまうのだ。皮膚をえぐり取るくらいの痒さなのだ。
急いでいい皮膚科を見つけなければならないと思った僕は、入院中、四六時中、ベッドに置いたノートパソコンでインターネットで調べまくった。退院する数日前、これなら治るかもしれないと思うページに偶然出会った。その医師は、アトピーを引き起こすのは「油と余分なタンパク質」が最大の原因であり、これを解決することがアトピーの完治につながると書いていた。その先生は大阪の医師で、定期的に東京に診察に来るということだったので、退院後、すぐに東京に行き、診察してもらった。
僕のアトピーは重症だったが、その先生の指示により、リノール酸を含む油と肉は完全に避けるようにし、10種類ぐらいのサプリメントを飲むようにすると、痒みが取れてきて、3か月経つか経たないうちに見る見る綺麗になったのだ。その医師の話によれば、三歩改善二歩悪化というように、ジグザグしながらゆっくりと改善してゆくという話だった。その先生に出会わなかったら、再発を繰り返し、死んでいたことだろう。20数年苦しんできたアトピーから、解放されつつあるのだ。
入院以来、かかった入院費は3割負担で850万円ほどだったが、僕は1級身体障害者のため、食事代+αを払うだけで済んだ。もし、入院費を払わなければならなかったら、間違いなく破産していただろう。しかも、心臓に負担をかけはいけないというのはあるが、デスクワークならオーケーで、一時は右半身麻痺だったが、リハビリの先生の指導により、右手も右足も動かせるようになった。失語症になったが、言語聴覚士の先生の真摯な指導のおかげで思考力もはっきりしてきて、去年の10月に職場復帰した。
神様から与えられた、全ての体の機能が使えるとは、なんという素晴らしいことだろうか。この病気になる前は、出来て当たり前と思っていた。
この病気にかかって、貴重な体験ができて本当に良かったと、心からそう思う。僕は、生きる希望に満ち溢れている。
最後に、過酷な勤務の中、8時間という長時間に渡って命を救って下さった執刀医の先生方、8か月にもわたる長期間、いつも笑顔で看病して下さった看護師さんなど医療関係者の方々、入院中、毎週のように見舞いに来てくれた大切な友達、本当に感謝します。

